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切除可能な膵臓がんの治療に、大きな転機が訪れた。岡山大学病院の研究チームが、2025年10月20日に発表した臨床研究で、術前に化学療法「GS療法」(ゲムシタビン+S-1)を施すことで、患者の2年全生存率が83%に達した。これは、従来の手術を先に進める治療法(61%)を大幅に上回る数字だ。この成果は、膵臓がんという「がんの王様」と呼ばれる難治性疾患の治療戦略に、現実的な変革をもたらす可能性を秘めている。

なぜ術前に薬を投与するのか?

従来の膵臓がんの治療は、「まず手術で腫瘍を取る」が基本だった。しかし、手術後に再発する患者が多かった。なぜか? 膵臓がんは、見た目には「局所的」に見えるが、実は微細ながん細胞が全身に広がっていることが多い。手術で見えている腫瘍だけを取っても、残った細胞が再発の火種になる。そこで注目されたのが、術前化学療法。手術前に薬でがん細胞を攻撃し、全身の微小転移を抑え、手術の成功率を高めるという発想だ。

このアプローチは、乳がんや直腸がんではすでに標準化されているが、膵臓がんでは効果が疑問視されてきた。それが、岡山大学病院の研究で、明確な根拠が得られた。

6年間の臨床データが示した真実

研究は2019年から始まり、6年間にわたり岡山大学病院で治療を受けた245人の患者を対象に、二つの群に分けた。一方は術前化学療法群(81人)、もう一方は従来の手術先行群(164人)だ。

驚いたのは、約9割の患者が術前治療を完遂できたこと。治療の途中で中止する患者が多かった従来のイメージとは大きく異なる。さらに、全員が手術に進むことができ、術後補助療法も7割以上が完了した。これは、治療の「継続性」が確保できた証拠だ。

生存率の差は顕著だった。術前群の2年生存率は83%、手術先行群は61%。さらに、再発率は術前群で7.5%、手術先行群では22.2%と、3分の1以下に抑えられた。これは、単なる「生存率の改善」ではなく、「がんの再発を防ぐ力」が術前療法にあることを示している。

「3つの因子」が予後を左右した

研究チームは、予後を左右する3つの因子を特定した。一つ目は術前化学療法の実施。二つ目は病理学的リンパ節転移の有無。三つ目は術後補助療法の完了だ。

「リンパ節に転移がなければ、予後は圧倒的に良い」と、研究責任者である高木弘誠講師は語る。「でも、術前療法を受けていれば、転移があっても、再発リスクを大きく下げられる。これが最大の発見です」

この3因子は、今後の治療計画に直接反映される。たとえば、術前療法で腫瘍が縮小し、リンパ節転移が陰性なら、術後療法を軽減できる可能性もある。個別化医療への道が開かれた。

安全性も立証、標準治療の扉が開く

安全性も立証、標準治療の扉が開く

「手術前に薬を投与すると、体が弱って手術ができないのでは?」という懸念は、この研究で解消された。術前群の合併症発生率は、手術先行群と同等か、むしろ低かった。特に、術後の感染や腸閉塞などの重篤な合併症は、両群で差がなかった。

「患者の体に負担をかけずに、がんを叩く。それが可能だと証明できた」と、松本和幸講師は語る。「この治療は、高齢者や体が弱い人にも適用できる可能性があります」

この成果は、2025年10月10日に欧州の学術誌「Cancers」に掲載された。欧州の専門家からも「臨床現場に即応用可能な重要な知見」と評価されている。

今後の課題と展望

とはいえ、課題は残る。まず、この治療を全国の病院に広めるには、専門的なチームと薬の供給体制が必要だ。また、5年生存率はまだ40%台と、一気に「治るがん」にはなっていない。研究チームは、次に「GS療法に新しい薬を組み合わせる」試みを進めている。

「膵臓がんは、早期発見が難しい。でも、もし見つかったら、今なら生きる確率が格段に上がった」と、高木講師は言う。「これは、患者と家族にとって、希望のメッセージです」

Frequently Asked Questions

GS療法とは何ですか?

GS療法は、抗がん薬「ゲムシタビン」と「S-1」を組み合わせた術前化学療法です。S-1は日本で開発された経口薬で、膵臓がんに特異的に効果があるとされます。この組み合わせは、従来の単剤療法よりも腫瘍縮小効果が高く、副作用も比較的コントロールしやすいとされています。

この治療はすべての膵臓がん患者に適用できますか?

いいえ。この研究対象は「切除可能な膵臓がん」、つまり手術で完全に取り除けると医師が判断した患者に限られます。転移が広がっている進行期や、血管に浸潤している場合は対象外です。ただし、今後は「切除可能か否か」の判断基準が、この療法の効果を踏まえて見直される可能性があります。

なぜ生存率がここまで上がったのですか?

術前に薬を投与することで、体内の微小ながん細胞を事前に減らせるからです。手術だけでは取りきれない細胞が、薬で死滅する。さらに、腫瘍が小さくなることで、手術の質が上がり、リンパ節転移のリスクも下がります。この二重の効果が、生存率の大幅な向上につながりました。

この治療、いつから受けられるようになりますか?

すでに岡山大学病院では実施中です。他の大病院でも、2026年春から段階的に導入が進む見込みです。日本消化器がん治療学会は、2026年度の治療ガイドラインにこの療法を追加する予定で、保険適用も見込まれています。

術前療法で腫瘍が小さくなった場合、手術は軽いものになりますか?

必ずしもそうとは限りません。腫瘍が小さくなっても、膵臓の周囲の血管や臓器への浸潤がある場合は、手術は依然として大がかりです。しかし、術前療法で「がんの侵襲性」が低下すれば、手術のリスクを減らし、術後の回復が早くなる傾向があります。手術の「難易度」は変わらないが、「安全性」は上がります。

この研究は、膵臓がんの5年生存率を上げる可能性がありますか?

可能性は高いです。現在の5年生存率は約10%ですが、この研究では2年生存率が83%。これは、生存曲線が急激に上昇している兆候です。研究チームは、術前療法+術後療法の継続的実施で、5年生存率を30%以上に引き上げることを目指しています。来年から始まる追跡調査が、その鍵を握ります。